イギリス茶商の中で最も古い歴史をもつトワイニングは、現在10代目のスティーブン・トワイニング氏がその伝統を守っています。
今回紹介するのは初代トーマス・トワイニングの孫にあたるリチャード・トワイニングです。
リチャードが誕生したのは1749年。
順当にいけば父である2代目のダニエルの後を継いで3代目の当主になる予定でした。
しかし、父ダニエルは49歳という短命でその生涯を終えてしまします。1762年のことでした。
リチャードはまだ子供でトワイニング社はしばらくダニエルの後妻であるメアリーが引き継ぐことになります。
実はダニエルと先妻の間にはトーマスという息子がいたのですが、彼は家業を継がずにケンブリッジを卒業して学者になっていました。
そんな事情からリチャードが家業を継ぐことになるのですが、先述しましたように父があまりにも早く他界したために母であるメアリーがその家業を守ることになったのです。
メアリーはその後17年間に渡りトワイニングの伝統を守ります。リチャードも母を助けるために14歳の時に仕事を始めています。
しばらく母と子の体制が続き世間からは、「メアリー・トワイニングと息子の店」と呼ばれるようになりました。
18世紀末、リチャードが茶の世界に入ったこの時期のイギリスの茶事情は、茶商にとって好ましい環境とはいえないものもでした。
茶の需要は年々拡大していたのですが、それに比例して政府の課税率も上がっていたのです。
1883年には売上の50パーセントと、1ポンドにつき1シリング1ペニーの加算というとんでもない税率になっていました。
需要は拡大する一方なのに茶商は思うように行動がとれない状態に追い込まれました。そんな中、このばかげた税金を逃れるためにオランダから不正規ルートで茶が流入してきます。密輸茶が横行し始めたのです。
正規のお茶よりも格段に安い密輸茶のため、まじめに商売をしていた茶商の中には倒産に追い込まれるものも出てきました。
リチャードはこの状況を打開するためにある行動に出ます。
リチャードは茶の税を引き下げてもらうように、当時の首相、ウィリアム・ピットを説き伏せようと試みます。
「茶税がこのまま上がり続ければ、密輸茶が増え正規の茶の取引が減る。そうなれば政府の税収も減ってしまう。
このままの政策を続けるよりも、茶税を引き下げれば茶は正規ルートでの商売が正常化する。それによって政府の税収も正常のものとなるだろう。」
正規ルートでの茶が正常な価格になれば密輸茶が横行することもなく、政府の税収も安定したものとなると説いたのでした。また茶商たちもこれによって救われる。
ピット首相はリチャードの意見を是として1784年に減税を実施しました。
これによって紅茶の消費はさらに伸び、輸入量は三倍に増えて、紅茶の値段も値下がりしたことにより密輸業者が暗躍することもなくなりました。
また東インド会社は拡大する本国の需要に応えるために新たに45隻の大型船を新造して3500名近くの増員をします。
紅茶の値段が安くなり需要が拡大したのはすべてリチャードの申し入れの成果であったと言い切ることはできませんが、そのきっかけを作ったのは政府へ意見をしたリチャードの勇気ある行動であったことは確かであると思います。